[[現象学入門 - ステファンコイファー アントニー チェメロ]]より。 流れを整理したい。 17世紀-18世紀の認識論においては、思想の系譜はイギリスで主流となっていた[[イギリス経験論]]とヨーロッパ大陸における[[大陸合理主義]]という色分けが生じていた。 イギリス経験主義の系譜はフランシス・ベーコンから始まりロック-バークリー-ヒュームと続く。一方、大陸合理主義の系譜はデカルト-スピノザ-ライプニッツと続く。 経験主義はより帰納的であり、大陸合理主義は演繹的、という傾向がある。 これはイギリス経験主義の系譜においては以下のような例が挙げられる。ジョン・ロックの「タブラ・ラサ」という概念は、人間はそもそも白紙の状態で生まれ経験を通して帰納的に知識を得るということを端的に表現している。ヒュームはさらに因果関係の限界を指摘している。すなわち、因果関係と思われるものはあくまで人間が帰納的に経験する中で理解しているだけであり、その蓋然性を保証することはできないとする見方である。イギリス経験主義のヒューム的帰結としては、懐疑論が先鋭化してしまう。 一方、大陸合理主義の系譜においては、普遍的真理が出発点にある。デカルトはそこに至るためには**方法的懐疑**を行う必要があると主張した。普遍的真理に到達するには全てを疑う必要がある、というのがデカルトの考えたことである。デカルトはその懐疑を行う主体であり公理的前提として、理性を置いている。デカルトの「cogito ergo sum」とはまさにその象徴的な文言である。他方、スピノザは「神即ち自然」という主張をするなど演繹の出発点をどこに置くかは多様である。 これらを統合したカントの観念論とは何か。 カントにおいては、「対象が認識に従う」というコペルニクス的転回を行っている。人間は感性を通じて直感を得る。しかし直観を構造化するにはアプリオリな構造(カテゴリー)が必要であり、その悟性によって我々は知識を得ることができる。カントはこれを超越論的演繹とし、カテゴリーが経験を構成するロジックを正当化した。カントにおいては、カテゴリー無くして知識は得られないし、しかしセンスデータ無しでも知識は得られないのである。これは「直観のない概念は空虚、概念のない直観は盲目」という彼の言葉に表されている。さらに、人間以外の超越的な存在がもしいたとしても、カテゴリーが意味をなすかどうかは保証されていない。そういう意味で、カントの観念論は本質的に人間本位であり、デカルトの「cogito ergo sum」を昇華したものともみなせる。