[[U理論[エッセンシャル版]― 人と組織のあり方を根本から問い直し、新たな未来を創造する - C・オットー・シャーマー 中土井僚 由佐美加子]]において、「環境的断絶・社会的断絶・精神的断絶」という三つの断絶が挙げられている。
それぞれに一応触れておくと、環境的断絶とは「人為システムと自然システムの不調和・断絶」、社会的断絶とは「社会システムとその部分システムあるいは個人の不調和・断絶」と私は解釈した。では、精神的断絶とはなんだろうか?
本書では以下のように言及されている。
> 精神的断絶ーーー増え続ける燃え尽き症候群と抑うつ状態。結果は意味の喪失と自己(Self)の喪失。私が大きなSの自己(Self)といった場合、それはエゴに支配された現状の自己(小さなSの自己〔self〕)ではなく、最高の未来の可能性を意味する。
> (中略)
> 精神的断絶は八十万という数字で表すことができる。年に八十万以上が自殺しているという意味だ。これは、戦争、殺人、自然災害による死者の合計より多い。四十秒に一人が自殺していることになる。
> 要するに、我々は(ほとんど)誰も望んでいない結果を、集団として生み出しているのだ。こうした結果に含まれるのが、自然の喪失、社会の喪失、大きなSの自己(Self)の喪失である。
上記の引用から、著者のいう精神的断絶とは「あるべき理想像としての自己(大きなSの自己(Self))と現実の自己(エゴイスティックな自己)の不調和・断絶」なのではないかと解釈できる。
このような断絶を見据えているので、U理論にはマインドフルネス的な意識の改革が組み込まれる。組織-個人-意識がシステム的に繋がっているというような見方は、[[学習する組織 - ピーター・M センゲ]]を引き継いでおり、サイバネティクスまで辿ることができそうだ。
ところで、このような「システム的な世界観の中にホロン構造を見出し、その要素と全体に着目する」思想は、現代でもいくつか挙げられる。例えば、Clare W. Gravesのスパイラル・ダイナミクス理論と、それをさらに先鋒化させたK. Wilberのインテグラル理論もある。これらは学術的には脆弱な立場にあるものの、ScharmarもインタビューでWilberといつか仕事をしたいと述べる程度の距離感ではあるようだ。[^1]
さて、精神的断絶を乗り越えた先には何があるのだろうか?
本書にはピーター・センゲの話として、以下のような言及があり、印象的である。
>「南老師は中国ではとても慕われている人物だ。彼は仏教、道教、儒教をすべて統合した偉大なる。私はこう質問した。『産業化社会は私たちを自滅させるほど環境問題を悪化されると思われますか。私たちはこうした問題を理解し、産業の仕組みを変えるために何らかの方法を見つけ出さなければならなくなるでしょうか』と」
>南老師はしばし沈黙し、首を振った。ピーターは続けた。「老師は必ずしも賛成してはいなかった。そのような見方をしていなかったからだ。もっと深いレベルで物事を考えていた。そしてこう言った。『世界が抱える問題はただ一つです。それは物質と精神を再び統合することです』とまさにそう言った。**物質と精神の再統合**と」
>(中略)
>今日の社会状況において、物質と精神の乖離が真に意味するところは何か。(略) 農業の目に見える結果である収穫は、土壌の質に左右される。もし目に見える社会経済的な結果の質が、我々の認識の盲点にある目に見えない社会的土壌いかんによるとすればどうだろう。
精神的断絶を乗り越えた先にあるのは、物質と精神の再統合なのである。究極的に言えば、社会・環境との統合でもある。大きなSの自己とは社会的土壌の栄養源となり、その結果として社会経済的な恩恵を受けることができる、ということだろうか。物質的な豊かさによって精神的な満足を得るのと因果関係が逆転している、という点が重要だろう。精神的な豊かさによって物質的な満足が得られるのである。
U理論では、プレゼンシング(過去のパターンを手放すことによる本当の意味づけの発見)を重視している。この方法論としてマインドフルネスが援用されている、その理論的な源泉はここにあるといえよう。
[^1]: https://integralleadershipreview.com/10916-otto-scharmer-theory-u-leading-future-emerges/